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『平家追討の立役者!義経がでてくる長唄にどんな曲がある?』

 

今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は鎌倉時代の始まる前、源頼朝の家来 北条義時が頼朝の挙兵から鎌倉幕府の最高権力「執権」となる迄の物語です。私も毎週楽しみに拝見しています。源平合戦の周りで起こる様々な人間模様を題材にした作品が歌舞伎や長唄にとても多く残っていますので、毎回おなじみの人物が登場すると親近感を覚えるのです。

特に義経を中心とした源平合戦と曽我十郎 五郎兄弟が父の仇を討つ曽我物語は歌舞伎とは切っても切れない間柄なのです。

今回は義経(牛若丸)にまつわる長唄の作品を紹介します。義経が辿った出来事を時系列で並べますと、「鞍馬山」〜「橋弁慶」〜「船弁慶」〜「勧進帳」の順となります。

「鞍馬山」

「鞍馬山」は義経が牛若丸と名乗っていた幼少期、京都鞍馬の山奥で剣の修行をしていると、天狗たちが現れて立廻りとなり、見事撃退するという曲です。曲調は大薩摩(おおざつま)と呼ばれる古浄瑠璃の手法を用いて、つまり豪快にジャンジャン弾く感じなので、演奏家の登龍門的な曲と、牛若丸の若さのフレッシュさがマッチして、若い人が弾いたり唄うのに似合う曲です。

1856年二世杵屋勝三郎(きねやかつさぶろう)作曲です。

次に「橋弁慶」

これは昔ばなしにもある有名なエピソードです。牛若丸はやがて鞍馬山を下りて、京の都へやって来ました。

おごる平家を良く思っていなかった力自慢の荒くれ坊主 武蔵坊弁慶と五条の橋で戦って打ち負かし、弁慶は降参して生涯の家来となりました。

能「橋弁慶」や河東節「橋弁慶」が元になっています。1868年十一世杵屋六左衛門の作曲です。この曲も大薩摩の手をたくさん用いて牛若丸の身軽な動きと弁慶の荒々しい様子をうまく表現しています。難しい曲です。

また、同じ内容で1903年十三世杵屋六左衛門作曲の「五条橋」という曲もあります。

義経と弁慶が会った後は、いよいよ源平合戦です。ついに壇ノ浦で決着がつきますが、その後、兄頼朝の不信を買い、追われる身となってしまいます。

  源義経/平知盛  義経の八艘飛びの像

そして「船弁慶」です。

前半は義経一行が摂津の国尼崎より船で西国へ立つ際、愛する静御前との悲しい別れと、後半は一変して、壇ノ浦の海に沈んだ平知盛の幽霊との戦いを、能「船弁慶」を元に静と動の対比でとてもドラマチックに作られた名曲です。1870年二世杵屋勝三郎作曲と、それを元に歌舞伎の舞踊劇として1885年三世杵屋正治郎(きねやしょうじろう)作曲の二曲あり、たいへん難しい曲ですが、どちらも名曲として今も大切にされている作品です。

最後に市川團十郎家の歌舞伎十八番の一つ、歌舞伎と長唄の名作中の名作「勧進帳」です。

「勧進帳」

西国への逃亡も嵐に見舞われ失敗に終わりました。残る道は奥州の藤原秀衡を頼るほか手はありません。

北陸の安宅を通って行くのですが、ここには関所ができていました。

能「安宅」を元に作られていますが、関所を守る富樫左衛門(とがしさえもん)に怪しまれ、とっさに機転を効かし弁慶が読み上げる嘘の勧進帳やヒートアップしていく山伏問答。

主君への忠義心に心打たれた富樫の人情の変化の描写が見事に表現され、哀切ある唄のメロディの効果もあって、1840年四世杵屋六三郎の作曲以来、ロングヒットを続ける名作です。長唄のお浚い会では必ず出る人気曲で、私もDVD制作の折りには収録させていただきました。

                

源義経についての曲は、この四曲を知っていれば充分という感じです。他にも歴史上の人物を描いた長唄の曲や日本舞踊がありますので、その切り口からも鑑賞や体験をされてみてはいかがでしょうか。

松永忠次郎

 

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